長嶺ヤス子

 護国寺で行われた「真言宗豊山派の僧侶と長嶺ヤス子による『世界平和祈願』托鉢行脚の旅 熱い祈りに命をかけて」に友人に誘われて行ってきた。私は不勉強で長嶺ヤス子(→オフィシャルサイトWikipedia解説)の名前は知らなかったのだけれど、私たちの親世代にはとても有名な方で、紫綬褒章も受章しているそうな。まあ前書きはどうでもいい。イベントの詳細はオフィシャルサイト内の解説ページに詳しいが、真言宗豊山派の僧侶の声明(しょうみょう→Wikipedia解説)にあわせて、長嶺さんが踊るというもので、なかなかすごかった。

 観客はおよそ2000人ほどいただろうか。かがり火と照明によりライトアップされた護国寺の階段上に100人以上の僧侶があらわれる。その100人以上の僧侶による声明にまず圧倒された。そして登場する長嶺ヤス子が苦悩を舞う。途中でパラついた雨さえも演出のようだった。苦悩から菩薩となっていくその舞は、声明の存在感とあいまって筆舌に尽くしがたい。ここで感想を書くことになんの意味があるんだろうと疑問を抱いてしまうほどに、とにかく見た者だけに伝わる圧倒的な存在感であった。

 あの踊りとともに声明を唱える(という表現が正しいのかわからないが)ことをよしとした僧侶たちもすごいし、場所を提供した護国寺もすごいし、なにより長嶺さんの踊りがすごかった。そもそもあれで72歳ってなんだそりゃ! すごいしか言わない自分に語彙の少なさを感じて絶望したがまあいいや!

 今回私を誘ってくれたのは友人とその友人の踊り子だったのだが、彼女たちに長嶺さんに関する話をひとつ聞いた。ゴールデン街のある店で長嶺さんが小さな公演を開いたときのこと。彼女たちは最前センターで幸運にも長嶺さんを見ることができたそうなのだが、終演後、踊り子の友人は長嶺さんに突然話しかけられたそうだ。「あなた踊りやってるの?」と。ステージから客席を見て、それがわかるというのはどういうことなんだろうか。見ているだけの客から踊りをやっている人間がわかるというのはどういうことなんだろう。私は体を動かすということにはさっぱり興味を持てない人間であるけれど、その「わかる」ということを知りたいとぼんやり思う。しかしまあ「わかる」なんてよほどの境地に到達しないと無理なんだろう。

 機会があったらぜひ見て欲しい。そして機会があったらまたぜひ見に行きたい。